前にも日記に書いたが、シュヴァンクマイエルの映像が好きで。

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そのシュヴァンクマイエルの映画祭が、
あった事、またやる事を、ふと思い出したついでに、
げんこつ団に関することに、ふと思いが至ったので。
それをメモ的に、書きます。
映画祭にご興味ある方はこちらへ→ http://svank2015.jimdo.com

で。こっから本題。

げんこつ団における「役作り」は、「粘土細工」だなと。

シュヴァンクマイエルの粘土映画を思い出し、そう思いました。

ざっくり言うと、私だって、
げんこつ団以外で、作・演出するときは、
色んな面において、登場人物に似た役者さんを探したり、
その役者さんに似た登場人物を作ったりしたうえで、
それぞれ役作りに臨んでいただくわけで。
なにも無意味に、無理な配役はしないわけです。
そんな無駄なこと、出来るだけしないわけです。
そっからスタートするわけです。

しかしげんこつ団の場合は、特殊です。
女性のみで色んな老若男女を代わる代わる演じ、
それぞれの登場人物は、見た目や声から、役作りをしてもらうわけです。
それはいわば、粘土をコネコネ捏ね上げて、ひとつの形を作っていく、
粘土細工のようなもの。

そうして出来上がる粘土人形、ならぬ粘土人間は、
リアルだけどリアルじゃない、リアルじゃないけどリアルな、
大なり小なりのデフォルメを施した、グロテスクなカリカチュア。

何故なら、げんこつ団における私の脚本は、その状況から展開から全てが、
ハナからデフォルメやカリカチュアの過ぎたものが多いので。
というかここではそういうものがやりたいので。
すると、そこにホンモノのニンゲンが登場すると、
作り込んだ人形劇の舞台セットにうっかりニンゲンが出てきちゃったように、
その世界がぶっ壊れるからです。

これをホンモノのニンゲンでやる場合には、
その世界を何らかの方法で、最初に作らなきゃならず。
設定やら。セットやら照明やら衣装やら名前やら。
それらを意図的に、ちょっとズラさないといけないなあと思うわけです。
いやまったくズラさないままでも、やりようによっちゃ面白そうだ、
と今、ふと思ったけど、基本的にはそうなのです。

で。それを作るのが、なんか嫌で。
というか多分、ヘタクソなので。
それを観せる時間や手間を省いて、もっとダイレクトに。
リアルだけどリアルじゃない、リアルじゃないけどリアルな舞台をやる。
前提や説明なしに、それを次々にぶん投げていきたい。
すると、やっぱり、役者本人は完全に姿を消し、
誰が何を何役演じているのか分からなくなるような、
粘土細工手法の役作りにて、粘土人形ならぬ粘土人間が出てきて欲しい、
となるわけです。

ただ、その粘土人間は、イキイキしていないといけない。
しかし、
おじさんを演じている「女」がイキイキとしている、のと、
女が演じている「おじさん」がイキイキしている、のでは、
180度違う、天と地ほど違う、水と油ほど相容れない、混ぜるな危険。
個人的には前者は死んで欲しい。天敵だ、悪魔だ悪霊だ。
稽古場でもし突如そいつが現れたら、命がけの悪霊払いが始まる。

たとえ「女」の役でもそう。
役者本人がそのまんまの状態でイキイキと舞台に現れたら、ぶち壊しである。
人形劇のセットに、ニンゲンがデカい頭を突っ込んできたのと同じである。
総出でその頭を叩いて追い出して聖水をかけて、悪霊払いである。


さてその、生き生きとして活き活きとした、粘土人間の作り方。
他の粘土人間とのバランスを見ながら、身体と声を駆使して粘土を練っていく。

人形を作るのと違うところは、
わざわざ命を吹き込もうとしなくても、自分の命がそこにあること。
なのに時々、それを練り込み忘れるポカをやらかす者も多いので、常に慎重に。

あらゆる場合の話し方立ち方動き方笑い方怒り方泣き方、考え方思い方、思い出経験、普段の生活。
意図的な場合を除いて、その全部を余すことなく練り込んで、
そのデフォルメとカリカチュアを施していく。

例えば、「おじさん」なんだけど、そこに「乙女」を何パーセントか練り込んだり。
「おばさん」なんだけど、そこに「少年」をちょこっとだけ混ぜ込んだり。
そうすることで、個性豊かな登場人物が練り上がる。
吐く息の匂いさえ漂ってくるような、リアルじゃないけどリアルな、粘土人間。
ほどよくデフォルメされた、グロテスクなカリカチュア。
それをいくらでも、練り上げていける。

まさに、自由自在だ、万能だ。
欲しい登場人物が手に入る。
5人10人の現実的人数など関係ない。
登場人物長者だ、ウハウハだ。

げんこつ団においては、私は色んな場所や状況をやりたい、
出来れば全部の場所や状況をやりたい、全部ってなんだと思うがやりたい。
そのためには、登場人物長者でなくてはならない、左団扇でウハウハでありたい。

そんなわけで、げんこつ団における「役作り」は、「粘土細工」なわけです。

役作りの一つの流派として、「粘土派」を名乗ろうと思います。

そうして目指すのは「シュールリアリズム演劇」なのか何なのか。
そもそもそんな言葉あるのかないのか、そもそもそれは何なんだか。
分からないけど、そんなイメージで、2015年も、やりましょう。


ところで下の写真は、
シュヴァンクマイエルの住むチェコの、人形劇の人形たち。
ちょうどよく歪んで、グロテスク。
グロテスクな舞台に登場すべき、グロテスクな登場人物として、
人間よりイキイキして見えたりもする。

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