ふと思い出した。
子供の頃、よく劇ゴッコをしていた。

幼稚園くらいの頃には友達を集めて、家の襖を幕の代わりにして、親たちに披露したりした。
最初は物語の入ったレコードを流して全編口パクで。
その後、童話などを自分で台詞に起こしたものを。

小学校低学年中には学校の教室で、自分が書いた童話パロディをやった。
前にツイッターに書いた気もするが「桃太郎」と「シンデレラ」を覚えてる。


「桃太郎」は、まずお供がどんどん増える。

犬、猿、雉、の他、通りがかりのおじさんとかおばさんとか色々、手当り次第にお供を増やして。
これだけ居れば無敵だ!と、意気揚々と旅立つが、肝心の「鬼が島」が見つからない。

桃太郎は必死に探すが。絶対にあるはずなんだが。その手がかりさえ見つからず。
桃太郎はごまかしつつ前進するが、徐々にお供達は疑心暗鬼になり。

「あいつは何か隠してる」「みんな騙されてるんじゃないか」
「このままどこに連れていかれるんだ」「そもそも鬼なんか居るのか」
「もしかしてあいつが鬼なんじゃないか」
「いや、いいかげんなこと言うな」「お前こそテキトウ言うな」
と。まったく統制が取れなくなって。

桃太郎自身も、「鬼が島が無い」「無いはず無い」「いやもしかして無いのか」
「よく考えたら桃から産まれたって何だ?」
と。自分で自分が分からなくなり。

いろいろあって最後には、お供たちに桃太郎が殺されて、「桃太郎退治」成功。
めでたしめでたし。


いや、確か先生に「殺すのはやめなさい、殺すのは」と言われたんだ。
で、しぶしぶ岩穴に閉じ込めることにした。


あと「シンデレラ」。

これもまた、舞踏会が、待てど暮らせど開かれない。
開かれる気配さえ、ない。噂が漏れ聞こえさえ、しない。

控えていた魔法使いはうっかり見つかるが、すべき事がない。
すべき事がないから、魔法使いっぽいけど、本当に魔法使いだかは分からない。

そしてシンデレラはいじめられ続けるが、
継母も姉達も、シンデレラ自身も、徐々に惰性的になっていく。

全員がなんとなく城の方を眺めてはドラマが始まるのを待つが、やっぱり何もない。


どんなラストだったかは、思い出せない。
多分、なにも、起きない。だったと思う。


思い返すと、「有る」べきものが、「無い」ってのが、好きだったみたいだな。

いや「無い」はずのものが、「有る」ってのも、基本的には好きだが。
有っちゃいけない、「それで解決しちゃうじゃん」ってものが、明らかに、有るとか。
そんなんもやった気がする。


思い返すと、ガキんちょの頃から、なんだか基本的な発想は変わっていない気がする。
あくまでも基本的な………、いや、変わってねえか…

あっ、こわいこわい。まじでこわくなってきた。

成長しよう成長しよう。

成  長  し  よ  う  。


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