団長日記

都内劇場に暗躍する喜劇団「げんこつ団」団長の日記

2014年12月

会話下手。

眠ろうと目を閉じた際などに見える幻覚は決まって、目。
色んな、瞼、睫毛、眼球。白目に黒目。
真っ暗な中に目だけが、物凄くリアルに浮かび上がる。
誰の目だか知らないけど、物凄くイキイキと浮かび上がる。
遠くに近くにあちこちに。
まばたきしたりキョロキョロしたりしながら、ただ浮かぶ。

ひとと話をするときに、私は相手の目をよく見ている。
何故なら小さい頃に、母親に、
ひとと話すときは相手の目を見なさいと言われたから。
そしたら私は、話を聞くことよりも、話をすることよりも、
相手の目を見ることに、ひたすら集中するようになってしまった。

真剣に話を聞いているようでいて、私はただ真剣に目を見ている。
話の内容よりも、その瞼や眼球の働きを追っている。
目だけが浮かび上がって見えてくるくらい、とにかく見つめている。
これじゃいかんと目から目を反らすと今度はその風景の方に気がいってしまう。
これじゃいかんと目を閉じれば話の内容よりも声のトーンに気がいってしまう。

いやもういい大人だからそれほどまでに重症ではないけれど、
今もその傾向はある。
だから面と向かってひとと話すのが、未だにちょっと苦手だ。
これはどうしたら変えられるんだろうな。

そのせいで、私の頭の中には色んな人の目の記憶が大量に蓄積されている。
だから目を閉じるとそれが幻覚としてよく登場するのだと思う。
ついでに声のトーンだけも大量に蓄積されているから、
静かにしていると色んなトーンのでたらめ語もよく聞こえてくる。

目だけがキョロキョロと意味のないことを言ってくる。
この目もあの目もその目も多彩なトーンで話しかけてくる。

いっそのこと、それらと会話する訓練でもしてみようか。

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馬鹿。

白砂糖は悪魔の粉、みたいな思想はまったくもってありませんが。去年からわたくし、精白された砂糖を一切摂らないようにしておりました。白米も少々避けておりました。幼少の頃から甘いものはほぼ食べず白米も少量しか食べなかった食生活。それが一転、成人してからは、缶コーヒー等の飲料を、少量ながら朝から晩までほぼ継続的に摂り続けまして。同時に経済的に白米を昔よりよく摂るようになりまして。結果、それ無しではいられなくなりました。特に甘い缶コーヒー等の飲料は急激に血糖値を上げ、起き抜けから頭を働かさせてくれるものでありました。はい。完全に中毒です。

数年前から定期的に鬱々とすることが増え、ときに思いきりハゲ、動けなくなった事もあり、当初それは血流のせいだと判断し血行の促進と酸素を出来るだけ多く取り入れる事で乗り切ってきました。が、去年から甘いものの量がその調子を大きく左右していることに気づき、半年、一切の精白された砂糖や白米や小麦粉を断ってみたところ、みるみる調子がよくなって参りました。やったね。

しかし。ああそれなのに。バタバタしていた通し稽古から公演中、そしてついでに公演終わって一週間ほど。がばがばと缶コーヒーを飲み、市販の甘いものをたんと摂取してしまいました。なんだろう。反動だったのかもしれない。おかげで現在、再び調子を崩し気味。でも大丈夫。回復の方法はわかっているのです。精白されたものではないなら砂糖も大丈夫。興味ある方はネットで調べてみてください。

というわけで。自業自得の大馬鹿者であるわたしは、今、再び食物制限強化中。
まあどうせやるなら楽しくやります。徐々に回復中。

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置いとこうと思った話の続きの続き。

前の記事に続けて、ついでにもひとつ。

そうそう女性のみで老若男女やるスタイルについてはね、昔々、"演劇の人"に、「邪道」と全否定された事があるですよ。今思えば演劇の人ってなんじゃ?と思いますが、その頃は今よりも更に演劇関係者と繋がりがなくて演劇の人との接点は貴重だったですよ。そのわりに、"演劇の人"としか記憶がないですが。

実際、確かに邪道かもしれず。脚本も演出も演技も、これを邪道とみる人がいて。しかし脚本も演出も演技も、確かに王道からは外れているものの、客観的にはそれほどまでに演劇というものから逸脱しているとは思えず。だってもしそれほどまでに全部が全部逸脱していたら、むしろそれが売りになるし。

元々の最初の最初は演劇のパロディをやるつもりでいた。しかし元来馬鹿真面目なので、パロディに取り組むなら本気で取り組んでしまうし。社会や人間のパロディに本気で取り組むのは、決しておふざけではないわけで。それと同様、うまくふざけて逸脱することを売りにするなどという、そんな賢い事は出来ないわけで。

というなかで。身体や声や思考回路を柔軟にして色々な老若男女を演じる方法や、突拍子のない展開を効果的に見せるために特に何でもない状況や状態をいくらでも作っていける方法は、独自の方法でありつつとても効果的なものになっているし、今現在、稽古場においてかなり高度になってきていると思われます。基礎練で私だけが観るのが勿体ない。いつかこいつを何らかの形でお披露目したいと、ちょっと思う。

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置いとこうと思った話の続き。

だいぶ前に何か書こうとして、その前置きとして書いた記事を思い出した。
http://gendancho.seesaa.net/article/375692358.html

これがそうだかどうだかは定かじゃないが、その先に続くことを、
時間が余ったから書いておこうかな。どうしようかな。

とりあえず。

女性のみでのナンセンス喜劇。その形態においてげんこつ団は、いろんな試行錯誤と精進によって独自の方法を一応は確立していると自負する。常に最新作にてその正しい実現を目指し、それ故の存在価値もあると思っている。

しかし実際、不利である。いつまでも不利である。その不利さはまず、実際の舞台を観てもらう前の、イメージにある。或いは観劇中にも、そのイメージを壊せきれない人もいるだろう。それはこちらの力がまだ足りないという事とも言えるが。

女性のみで喜劇と言われたら確かに、世間一般の女性のイメージ、或いは例えば、世間一般の女芸人のイメージや、世間一般の女優のイメージ、プラス、小劇団における女優のイメージ等々、いろんなものがつきまとう。私だってそう思う。様々な先輩後輩女優さんや芸人さんのご活躍のおかげで昔よりはそのイメージは限定されてはいないかもしれない。ただ、女だけで笑い?と鼻で笑われる経験は、悲しいかな今もある。

そんなイメージはどこ吹く風と、それを気にせず軽く超越する。してきたと思う。そのイメージはそれほど問題にしていない。ある意味、そのイメージ自体を壊すためにやっているとも言えるが、決してムキにはならない。作品の内容だけでなく、このスタイル自体が、「あらゆる固定概念を壊す」という目的のためのものであるので、ふにゃふにゃと肩の力を抜いて、当たり前のように、いや何でもなく当たり前に、それをこなす事が大切。観てもらえば分かる、分かるかなあ、分かって欲しいなあ、常に新たにそう思い、作品を作っている。

しかし観て頂いても、或いはもしも作品はある程度評価して頂いたとしても、それでもどうしてもこのスタイルを受け入れられないという人も一定数いるかもしれない。いや実際いるだろう。どんな作品や団体にもいるだろう。それはもう仕方ないしそれをどうこうしようと思わないし、こちらの力量の無さやまだまだつたない部分もあり、それを問題にしているのであれば尚更、更に精進するのみ。

ただ、そうではなくて。そういったイメージ以前の問題。もっとそもそものところ。つまり。「男を一切必要としないこと」「男に一切媚びないこと」。これ自体ついて、どうしても生理的に受け入れられないという方々、或いは思い。これが意外と、存在している。それが意外と、根強い。

げんこつ団は、舞台上に男を必要とせず、男を含めた観客に媚びない。ともすれば何故かスタッフさえほぼ女性である。いや登場人物に男性は普通に出てくるので完全に必要としていないわけではないが。スタイルとしてはそうである。これがどうにも、許せない、いや許せないまでいかずとも、なんとなく納得出来ない、なんとなく腑に落ちない、そういった人達、或いは心持ちが、一定数、存在する。

これはもう、どうしようもない。根強過ぎる。これに、かつてはうんざりした。ときには苛立ちもしたし、ともすれば恐怖も感じた。正直少し、たじろいでいた。ただ今は一転。私は非常に、興奮しているのである。興奮していることに、ふと気づいたのである。

確かに不利なのだけど、興奮する。とても楽しく、興奮する。なぜなら、完成度を高めるほどに、そこんところをくすぐることが出来る。そう、別に必要としないよと、ニヤニヤ出来る。そのことにようやく気づいたからだ。今更ながらに気づいたからだ。私はひとの神経を逆撫でるのが好きだ。驚かせたり不安にさせたり怖がらせたりするのが好きだ。年を重ねてか、あとは、時代的なものもあるかもしれない、そんな余裕が出てきた。とにかく今はただ、興奮する。してきた。多分、今後、もっとする。

個人的な活動では、脚本や演出においては、男女混合芝居も普通にやりたいと思うし機会があればやっているし、男性のみも面白いと思う。今もちょっと考えてみたりしている。私は別に男嫌いでも何でもない。ただ、自分や自分と同じ性を持つ者のあらゆる可能性は、馬鹿のように一切合切、否定も限定もしたくない。それはつまり、自分と違う者の可能性についても同じ。

そんなこんなでげんこつ団では、このスタイルをやはり貫こうと、改めて思ってみたり。いや別に、迷いはないままなんだけど。いや前回のような、映像特別出演や何やらの試みは別として。
はい。そうです。完成度。クオリティ。過激さと同時に、受け入れられやすさ。それをね。そこんとこをね。ちょっとね。今後ね。どうこうするよ。なんたってそれはもう、興奮するからね。

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