団長日記

都内劇場に暗躍する喜劇団「げんこつ団」団長の日記

2014年11月

ツッコミきらい。

最近ある芝居を観ていてとても面白い展開があったのだけど、
やはり客席に笑いが起きるのはそれに対するツッコミ台詞が入ったところであって。
それにはやっぱり、「ああやっぱりそれってオカしいよね」と、
舞台上で表明をしてもらって初めて笑えるという、
場の窮屈さ、或いは精神的不自由さを、感じたです。
いやただの合図的なもんでもあるんだろうけど。

確かに、オカしな展開をしていても、舞台というのは何でも有りでもあって。
舞台上のその世界でそれは普通としていることであれば、
観客はそれを受け入れなきゃいけないこともあって。
それはなんでか大人しく観てなきゃいけないです。
そういう空気を感じるです。
それがそもそも嫌です。

例えば真面目なシーンの二枚目役がどう見ても絶妙に不細工で、
どうにもオカしいとなっても、笑っちゃいけないです。
いやそれは極端な例だけど。
でもほんとうに困りました。
勘弁してください。

ともかく。
これは笑っていいネタ、これは笑うべきでない展開、
そういうのをしっかり守って観劇するお客さんは本当に行儀が良いと思うです。

そんなの気にすんなよ。

te.png

つぶつぶ後の自分メモ

自分メモ的内容なので、最低限の接続詞以外は、省略。
自分メモ的内容なので、読まれなくて結構。むしろ読まないで。
自分的メモなのに、その前提として色々と改めて説明。ほんとは読んで欲しいのか。
まあなんでもいいさ。気にすんな。なんにも気にすんな。


そういや中・高・短大と映画と同様に演劇もよく観てた割にあまり好きじゃなかった。声がでかけりゃ鬱陶しいし、非現実的だと着いていけない。かといって生っぽけりゃ生臭いし、かといってなんか美しければなんか鼻につく。
そういや元々人間自体があまり好きじゃなかった。目の前で人がなんかやるのをただ見てるのなんてよく考えたら拷問。元々人間自体よりも"場"や"物事"に興味があり、芝居でも役者よりも戯曲の発想や展開を観ていた。それに翻弄される人。それに疑問持たぬ人。としての登場人物。とか。

舞台っぽいの苦手な自分が台本を書く時は、最初は現実の状況を思い浮かべて書く。勿論最終的には舞台用にするし、舞台でしか出来ないものにするけど。普通のオフィス、道っぱた、家、等々。そこに居るのはごく普通の人。ただの人。人は人。それよりとにかく、"場"や"物事"が主役。
台本では、人をあれこれするのでなしに、場や物事をあれこれする。それか人自身をわけわからん設定にする。いわゆる何らかのキャラもそう。素っ頓狂な事やズレた事が起きたり、或いは元々の状況が素っ頓狂だったり。
登場人物はあくまでもそれぞれにそれに対して普通に妥当な反応をするし、或いはそれに気づかないで普通に生活してたりする。

ツッコミ台詞は絶対に入れない。理由は上記の通り。
色んな馬鹿馬鹿しい"場"や"物事"に翻弄されたり、或いはそれを受け入れている人達は、あくまでもそれぞれ真面目に生きている。そんで結局変なことになる。
だから稽古は案外地味。台本もキャラクターもかなり滅茶苦茶なんだけど稽古は意外と普通に進むから、うっかり普通の芝居やってると錯覚するかもしれない。
よく初出演の役者から聞いた言葉、本番になってからあの言葉はあの展開はこういう風に面白かったのかと気づく。誇張はする。表現の拡大はする。面白くはする。喜んでする。でも枠からはみ出たり嘘ついたら駄目。

現実の状況を思い浮かべて書くので本当は、配役には登場人物分の老若男女が必要。何十人もの役者。無理。だから一人が何役もこなす。役者本人を追って欲しくないから丁度いい。
全部女性。何がいけない。出来るのだからやる。あと声や骨格の男女差。邪魔。

笑い。例えばツッコミ入れたらもっと笑いは起きるかもしれないけど入れない。例えば何らかの変なキャラであってもそいつはそれで産まれてそれで生活しているんだという、無駄な絶対的設定によって、軽はずみに笑いを取る行動はさせない。
でも喜劇。どの瞬間も喜劇。
知らぬ間に隙間に対する恐怖が産まれる。ネタを展開をとにかく詰め込む。それをこなすためには一挙手一投足一呼吸に対しても最終的には決まったものにして、それを全部成立させようとする。バランスを組み立てようとする。しかもとんでもない早変わりと役替えの連続の中で。

うまくいけばうまくいく。でもうまくいかなきゃうまくいかない。
分かりにくいネタの合間が分かりやすいネタの連続になったり常に何か起きているので、面白くは思われやすいかもしんない。でもなんか平坦になる。平面的になる。或いは失敗すればせっかく面白いはずのシーンもよく分からないまま過ぎるだけ。
コントと演劇。定義はいろいろ。自分的定義ではそれはコントになりやすいかと。でもコントならもっと笑いやすくしろよとも。中途半端だろうと。
前提にあるはずの状況。そこに居る普通の人。それがカラクリ人形のように見える、或いは動く。状況が展開するなかで積み上がって欲しい馬鹿馬鹿しいものがただ流れていく。これはマズい。全部のシーンにではないけど去年までのここ最近はそう感じるシーンが度々。

それで今年は隙間を作った。敢えて作った。自分なりに沢山作った。そこを何で埋めるか。
その"場"に置かれた人達なり、"物事"に反応する人達なり、敢えて追わせる物語なり。それが積み重なってその先に自然と爆発が起きるように、火薬を仕掛けるつもりで。
それは当たり前のことで別に凄いことでも何でもないだろうけど今の自分にとっては挑戦。だって元々人間自体があまり好きじゃないし。でも"場"や"物事"を描くのは人間しかない。それに対峙している人間しかない。
しかもそれが埋まらないとスカスカになる。埋めるのはネタでなく展開であり流れでありそれを見せる演技であり。
凄い怖い。稽古して演出してるけど最終的には、役者それぞれが責任背負って。それにお任せする部分の多さ。
今回特に本番中は震えた。それは少しのことで崩れやすい。でも最終的にちゃんと埋まった。埋まらないと起きない爆発や埋まれば起きる爆発も分かった。もっとそれを起こせることも。

ただそのためにはもうちょっと色々なもんを自分のなかに仕入れなきゃいけない。
例えば10年前も隙間は沢山あったけどその何割かは勢いのようなもので埋まっていた部分もあり。今いい感じでそこを埋めるためのものを、まず自分がなんかかんかとりあえず手に入れようと。そんなこんなで、とにかくいろんな火薬を入手して、来年、お客様をお迎えしようと思うであります。

c1.gif
ギャラリー
  • 次回のげんこつはなんと、人が主役!
  • 苦手
  • 早漏
  • 役作り粘土派
  • 役作り粘土派
  • 役作り粘土派
  • 役作り粘土派
  • 役作り粘土派
  • 役作り粘土派
げんこつ団
団長