団長日記

都内劇場に暗躍する喜劇団「げんこつ団」団長の日記

2013年11月

読書と便通。

散々言われているか全然言われていないかは全く知らないけれど、
人の読書の仕方は"便通"に似ていると思っている。

私は読むとなったら次から次へで。余韻もへったくれもありゃしない読み方で。
しかもどちらかと言えば軽めのものを好み、やたら長編なものはなかなか受け付けない。
つまり、読んじゃすぐ忘れの、食っちゃすぐ出しの、"下痢"体質だ。

逆に、読むとなったらじっくり取り組み、どちらかと言えば重めのものを好み、
読後も出来る限り熟考し続け、或いはいつまでもその余韻に浸り続けたいという、
"便秘"体質の人も居るだろう。

と、なると。
下痢体質の私は、沢山の本を読める代わりに、
その作品から摂取出来るはずの栄養分をその分取り損ねているだろうし。
すると栄養を吸収する腸内活動自体が疎かになっていくだろうし。
そのうち何も読み取れない馬鹿になってしまいそうな気がするし。

また便秘体質の人は、栄養は充分に吸収出来そうだが、
その作品に捕らわれ続けたりこだわり続けたりでなんだか苦しそうだし。
するとやはり腸内活動は鈍化し悪玉菌が増えて腸内発酵しそうだし。
そのうち何も飲み込めない頑固者になってしまいそうな気がするし。

まあ、どちらにしてもそのままでは、いずれ変な病気にかかってしまいそうだ。
癌とか。
やだ怖い。

現代医学において確実な治療方法、未だ無し。
自然治癒力とか、沢山笑うと治るとか、むしろ治療しない方がいいとか。
わけわかんない。

と、思うと。
やっぱり"快便"体質になるのが、とりあえずは一番良さそうな気がする。
実際に極度の下痢体質である私が気をつけていること。
食事は、適量をバランス良く、よく噛み砕いて、食べる。
これを読書にも適用しよう。
読書は、適量をバランス良く、よく噛み砕いて、読む。

あらやだ。びっくりするほど、当たり前のことだわ。
当たり前のことを気をつけるのが、一番難しいのだわ。

ぶりぶり。



猫の爪を切った。

今日、初めて猫の爪を切った。

これまでは生え変わった爪の抜け殻を自分でガンガン剥いでいたし、爪に関しては全く不自由なことはなさそうで、こちらも全く気にしていなかったが。この夏あたりから爪の抜け殻を発見することがなくなり。見ると、後ろ足の爪が、ビヨーンとえらく伸びていた。驚いた。いつ抜け落ちるかと観察を続けたが一向に剥がれず、爪はビヨーンと伸び続けた。

自分の年さえ定かじゃないので、猫の年も定かじゃない。でも多分けっこういっている。年のせいでもう生え変わらないか、生え変わる速度が遅くなったか。或いは最初から生え変わっていたのは前足のみで、後ろ足の爪は少しず〜つ少しず〜つ伸びていたのかもしれない。昨日にいたってはフローリングの床に爪が当たって痛そうにしていたし、カーペットに爪が引っかかってグルグル巻きになっていた。やばい。そろそろ切ってやらねば。

子供の頃、母が人間の爪切りで猫の爪を切っていたように記憶しているが定かじゃない。猫用の爪切りというものが存在しているのかどうかも定かじゃない。いろいろ定かじゃない。
疲れてた。でも今日しか時間がなさそうだ。とりあえずエスカレーターに乗って、上へ上へ。やっと歩いてるお爺さん、その後ろに続いてゆっくり、上へ上へ。
ようやくペットショップに辿り着くと、難なく「猫用爪切り」を発見。おお! 存在している! しかもこんなにもポコポコと置いてあるもんなのか。やはり猫には必需品なのだ、来たカイがあった、これで遂に…
しかしよく見るとそれは刃先が丸くなっているだけで、そんなに特別な機能性を感じない。なに?この丸いカーブだけ? 商品の裏の図解には丸いカーブの素晴らしい機能性がこれでもかと綴られていたけど、いまいち説得力が感じられない。

素直にそれを買うのもくだらないし中途半端に値段も高かったので、とりあえず色々調べた。店の柱に寄りかかりながら携帯ネットでググりにググった。傾きかけてた陽が暮れた。結果、大丈夫と大丈夫じゃないの説が半々だったし、よくわからないけど、まあいいや。とりあえず自分の爪切りで切ってみよう、と思った。だってあの丸いカーブにお金出すのはくだらな過ぎる。

この爪切りさ〜100均で買ったやつだからさ〜全っ然切れねえんだよ〜、と、前々から思ってた。5年は思ってた。安っぽい爪切り。そんなもんで臨む勇気はない。仕方ない。自分のためにも猫のためにもこの機会にちゃんとしたの買おう。
さあどこだよ爪切りコーナー、と思いつつ猫コーナーを離れて歩くと、意外とすぐにそれらしき一角発見。おお、なんだどした、運がいいねえと、キラキラ輝くちゃんとした爪切りに近づいて気づいた。うちの、これだ。

うちのが100均のでない事を知って、うひょー! とテンションあがった。なんで勘違いしてたんだか知らんが、ともかく一円もかけずに、済む。無駄足。でも軽やか。家路を急いだ。
帰ってまずは、自分の爪を切った。切れ味、悪くない気がする。絶対悪い気がしてたけど、全然悪くない気がする。全ては気のせいだ。世の中全部、気のせいだ。

さて再び昔を思い出す。子供の事、母が猫の爪を切る時、猫は暴れに暴れていたように記憶している。噛み付くわ引っ掻くわ逃げるわで、大変だったように記憶している。定かじゃないけど。気のせいかもしれないけど。
その猫はやはり老猫で、普段はとても大人しく、異常に穏やかな性格の猫だった。なのにそれだ。
老いてなおアチコチ飛び回るヤンチャなこいつの爪切りは、とんでもない大騒ぎになるに違いないと思った。

身構えた。さあこれからが本番だ。疲れていたが集中せねば。
ほ〜らいつも通りだよ〜と無駄にリラックスを装いつつ、慎重に猫ににじり寄り、素早く後ろ足を獲った。
…されるがまま。
あ、そうだ。そういやこいつは、そういうことには鈍感なんだ。
そういや無理矢理逆立ちさせても、なんですか?という顔をするだけだし。

後ろ足を獲ったまま、そーっと爪を捕らえて、爪切りに爪を挟んでも、何の反応もない。
思い切って先っちょをちょんと切っても、何の反応もない。
さあ暴れ出すぞ! と更に身構えたものの、やつはこともあろうにそのまま寝に入った。
なんかつまらん。
その後はパチパチと、伸びた部分をきれいに切った。
切り終わってどっときて椅子にぶっ倒れた。

多分、実家の猫は一度爪をきった際に神経や血管まで切られて、痛い思いをしたんだろう。痛いこととしての認識があった。うちのにはない。なんのことやらわからなかっただけ。多分、切られたことにも気づいていない。
気のせいか爪がなんか引っかかんないなーと思うだけだろう。そうそう全ては気のせいだよ。
かくして無事に、共に初の爪切りは完了した。

ああ、疲れた。



こないだテレビみて思ったこと。

こないだテレビを眺めていたら、"ご当地キャラ"なる着ぐるみ達が沢山出てきた。
そのとき、今ブレークしている例外的なもの達は置いておいて、一切喋らずにフワフワと動いている、いわゆる従来の着ぐるみを見て、思った。

多分、彼等は基本的には子供向けで、或いは大人に向けても無害で可愛らしく愛嬌を感じられるように、デザインされたキャラクターだ。
それに動きを付ける時、大抵は、こうなる。膝を内側に向け両膝を寄せて、踵を上げる。肘を外側に向け両肘を寄せて、手首を反らしてグーパーグーパー。
これが、大抵の日本人にとって無害で可愛らしく愛嬌を感じられる仕草、と、認識されているという事だろう。寄って集って膝を寄せて肘を寄せて、彼等は愛嬌を振りまいていた。

顔かたちは、分かる。本能的に赤ちゃんに対して感じる可愛らしさ。顔のつくり、目鼻口の比率、頭と身体と手足の比率は、やはり大抵、それに則っている。それはもう、世界共通、哺乳類共通のものだろう。
しかし、その仕草は?

人間に限らず哺乳類の赤ちゃんに、膝や肘を寄せるという特徴はないように思う。つうかどっちかってえとガニマタだ。いや子馬や子羊なんかはウチマタか。そうでもないか。
しかるにその可愛さは、赤ちゃん由来のものではない。ではそれはいったい何なのか。

言わずもがな。あれは弱さのアピールだ。
回りくどく書く必要はなかった。誰が見てもそう。内股ではいきなり蹴ってくるような事は出来ない。内肘ではいきなり殴ってくるような事は出来ない。どっちも力が入らない。
警戒しないで下さい、私達は無害です、非力で弱い存在です。彼等は一生懸命に、そのようなアピールをしている。

それは赤ちゃん由来ではないなら、何由来か。それは、女性由来だ。
回りくどく書く必要はなかった。誰が見てもそう。かよわい女。その特徴を、単純に図式化したクネクネした動き。彼等はみんな、赤ちゃんであり、かよわい女だ。無害中の無害。カワイイの最強合体形。

その動きはデフォルメされ形式化されたものだ。周りにそんな動きをする女性は居ないし、時代を遡ったとしても、そこまで不自然な動きをする女性はなかなか居なさそうな気がする。
またそれは、日本でしか見られないデフォルメと形式にも思える。海外の色々な国のアニメやキャラクターの動きに、それはなかなか出て来ない。しかし日本ではアニメの可愛い女の子なんかは、ときに間接がおかしくなっちゃってるんじゃないかと思うくらい、膝を寄せて立ち、肘を寄せては手首を捻る。動脈の走る大事な手首の内側を、これでもかと見せつけてくる。

その執拗なほどの「かよわさアピール」が日本人には嬉しいのか、或いは、嬉しいと感じてもらえる、と、思うものなのか。まあ、そうなんだろうなと、思う。
男性、或いは女性の中の男性性が、女性的なかよわさを受けて満たされる、自尊心や優越感。或いは掻き立てられる保護欲、もしくは嗜虐欲。そういうものが、特に想像しようとしなくても、自然に理解できる。
ただそれ自体は、日本人特有のものじゃないとも思う。人間ならば、もともとあるものと思う。では何故、キャラクターやアニメ等の過剰なかよわさアピールは、他の地の文化ではなかなか見られないのか。

日本人はよく謝るという。謝罪の気持ちがなくても、とりあえず謝ることで、人間関係が潤滑にいく。「すみません」の文化。自分を下に見せること、互いに自分は下ですよとアピールすること、それが、「かよわさアピール」のデフォルメや形式を、過剰なものにしているんじゃないかと思う。
自分は暴力的ではありません、無害です、弱い存在です、と、過剰にアピールしながら、本当にことごとく弱く、なんにも出来ないキャラクターは、なかなかいない。むしろ強かったりする。

「すみません」の文化。それ自体は悪い事ではないと思う。表面的儀礼的に互いの平和を保つにも、それは高度な関係性の築き方であるようにも思うし、互いに譲り合う精神とそれは、深いところでは結びついていると思う。
日本はそうした独自の国民性から、他の文化にはない世界に誇れるクネクネを、生み出している。日本のアニメやキャラクターにはなくてはならない、クネった動き。それは誇れる文化だ。クールジャパンだ。

しかしながら、そのデフォルメによってやっと満たされるような、自尊心や優越感。或いは掻き立てられる保護欲、もしくは嗜虐欲。それ自体は、とんでもなく幼稚だ。低姿勢で「すみません」と言われて、「その通りだ、自分はあんたより上だ」と、即座にふんぞり返る馬鹿と同じだ。
日本人に限らず人間ならもともとそうなる素質がある。いや、もともとそうであると言えるかもしれない。それらの欲は、皆、満たしたい。ただ、それはそう簡単には満たされないはずのものであり、自制しなければいけないものでもある。人間としての成長に大きく関わってくる、"欲"である。
例えば、女のかよわさが過剰にデフォルメされたアニメのキャラクターに対してそれらの感覚を抱くのは、人として一つも成長していない事の証と言えるかもしれない。デフォルメされたキャラクターの中にあるデフォルメされた特徴は、もはや現実的なものではない。あくまでも象徴だ。だからこそ、許される。

さて、ご当地キャラクター。
彼等は無害な顔に無害な動きで、我々は「女子供」です、人畜無害です、と、言っている。そこに私は、違和感を感じたのだ。それで、上のようなことを、書いたんだ。そうだった。
しかしその無害さアピールは、物凄く漠然としている。とりあえずの方法でしかないように思える。とりあえずこうしておけば大丈夫だろう。まあ、そんなところなんだろう。その辺のゆるいコンセプトが、"ゆるキャラ"たる由縁だろう。だからそれで、いいんだろう。

私は大分昔、着ぐるみのバイトをしていた。その時、そうした「型通り」の動きをするのがイヤで、「自分なりに」そのキャラなりの動きを、していた。いや別に心の底からイヤだったわけではなく、単にその方が面白いから。
それでも受けは良かった。いや、その方が断然、受けは良かった。「型通り」は、警戒されはしないが、面白くない。いや、面白さは要らないんだろう。いや、それでいいのか。

そんな、漠然と「型通り」だったご当地キャラクターの世界にも色々と「型破り」が出てきて、今、それが世間に受けている。
「愛されたいなら、かよわくあれ。」その法則は、時間をかけて色々なところで、徐々に覆されている。それは、喜ばしいことと思う。形式美としてのデフィルメは残るかもしれないが、それはあくまでも形式だ。
へりくだるのは、悪いことじゃない。むしろ世界に広く、へりくだりの精神を伝えたいと思うほどだ。女子供だけにそれをさせるな、男もどんどんへりくだれと思う。へりくだった上で、強くあればいいと思う。

ただ、かよわくないと愛せないのは、未熟すぎる。多分、日本においてそれは根強い。日本人は繊細だからかもしれない。物凄く乱暴に言えば、男も女も女性的な部分が多く弱いので、更に弱いものが欲しくなるんだろう。
そんな未成熟な部分は、徐々に成熟すればいいと思う。それは、日本なりのやり方で、いいと思う。
弱者の、権利、自立、平等。弱者の、定義。日本の国民性においては、例えばそうしたものへの感覚を真の意味で深く変えるには、理屈や議論や論争よりも、なんとな〜くの浸透の方が、有効そうな気がしている。

長い間漠然となんとな〜く、かよわいばかりだった"ゆるキャラ"の世界に、たまたまこの時期、かよわくないけど愛せるものが出てきて、それをなんとな〜く共有する。それもまた、なんとな〜くの流れの端っこの方に、ある気がする。
ゆるく流れるその大きな流れの末に、良き未来があるかないかは、やはりその流れを作っている個々人のその時々の、流動的な考えや思いや価値観だと思う。誰にもその責任がある。

また無駄に長くなった。

以上、"こないだテレビみて思ったこと"、でした。



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