団長日記

都内劇場に暗躍する喜劇団「げんこつ団」団長の日記

2013年09月

上手になろう。

昔から友達の親が苦手だった。
何故だか、"あの子とはあんまり遊んじゃ駄目"的オーラを、
感じてしまって苦手だった。或いは、本当にそう思われていたのかもしれない。
そう思われていると感じてしまう場面が、幾度となくあった。

無邪気な子供らしい子供だったと思うが、その無邪気な遊びが行き過ぎて、
子供を集めて子供だけで子供に向けた色々な遊びを企てたりしていたせいかもしれない。
いやそうでないかもしれない。

そうでなくて、私には、"教育に悪い"ナニかを、感じさせるものがあったんだろうと、
思い込みか被害妄想だとは思いつつも、どうしても思ってしまう。
彼等にとって望ましくないナニかを、私は知らず知らずのうちに、
しているようだ、考えているようだ、いや存在自体が望ましくないのだと、
思ってしまっていたし、今も思っている。
いや、思い込みでも被害妄想でもなく、そうだったのかもしれない。

だから今でさえ、子供を持つ親は苦手だ。
いや、総じて大雑把には、"大人"が苦手だ。
年齢には関係なく、社会的に"大人"としてきちんと生きている人が苦手だ。
どんなに上手く振る舞おうとしても、常軌を逸する"望ましくない"ナニかが、
自分からは滲み出てしまう気がしてならない。どこかでバレてしまうのが怖い。

"自分は人とは違う"と思う事で優越感を持ちたいという意識とは違うと思う。
本当に怖いし、本当に困っている。
成長していないのかもしれない。大人なのに大人でないのがバレるのが怖い。
見透かされる、驚かれる、怪訝に思われる、それが怖い。

考え過ぎなのかもしれない、とはつくづく思うのだけど、
考え過ぎだなと思った頃にふいに、
考え過ぎではないと確信するような出来事が起きるから困る。

いや。
私は、"演技"が下手なのかもしれない。
多くの人は、人それぞれに、"教育に悪い"ナニかを、持っている。
それでも、世間に馴染み、世間と上手いことやっている。
私は単にそれが、下手なのかもしれない。
下手なら、上手になってやりたい。

まずは大人として、こういうどうでもいい日記は書かないようにしよう。




置いとこうと思った話。

女性だけで老若男女を、しかも一人何役も次々にこなすという、
そういうスタイルでやっていて、何故そんなスタイルかというのは、置いといて。
いや置いとかないで。それ重要だから。

一応置いとかないでおくと、
役者自身のパーソナリティが前面に出ないよう、
誰が何の役をやっているかを目くらまし的に分からなくさせつつ、
役者自身よりも次から次へと展開する内容やネタで笑わせていこうという、
崇高な、いや、意地悪な、いや、馬鹿げた思惑があってのことで。
それはいくら馬鹿げていたとしても、げんこつ団では絶対に変わらない部分なのだけど。

何故それで女性だけかというと、過去には男女混合状態も色々試したものの、
そのスタイルでやるとなると、単純に体格や声などの男女差が邪魔になってくるからで。
それはいらないなという結論に、至ったわけです。
また経験上、勿論人によりますが、だいたいは女性の方が身体も声も柔軟だと。

あ、でも、そうしたとしてもどうしても、生身の演劇というスタイルであるからには、
役者自身の個性というのは出るし私もそれ自体は多いに利用するので。
役者自身が自分で思う範囲の、"自分のパーソナリティ"は、捨ててもらうというのが、
実際の現場では正しいのかもしれない。

以上が、置いとこうかと思った話。
置いとこうかと思った話で、大分長くなってしまった。

その先に書こうと思っていた話をここから書くと更に長くなってしまうので、
今度にしようと思う。
今度がいつになるかは分からんけど。



犬こわい。

犬をね、こう、リードを付けて連れて歩いてる人を見ると、いつも不安になるのです。
人はね、あちこち見ながら、ぶらぶら歩いているのです。
犬もね、あちこち寄り道したがりながら、ふらふらと引っ張られているのです。
人はね、犬を見てないんです。犬もね、人を見てないんです。

誰も通らぬ広い道ならいいんですが、
人が沢山歩いてる狭い道、時々車も通るような雑然とした道では、
いつ誰ぞやが、不慮でか故意でか、蹴っ飛ばしたり踏んづけたりしやしないか、
いつ車が、不意でか故意でか、はね飛ばしたり踏みつぶしたりしやしないかと、
もう、ハラハラドキドキしてなりません。

いや、余計なお世話です。大丈夫なんです。きっと、大丈夫なんですよ。
それでも不必要なドキドキが止まりません。勝手にドキドキしてなりません。
特に最近はえらい小こい犬が多いので、更にハラハラです。
もう、胃が痛くなって仕方ありません。

いや、余計なお世話です。大丈夫なんです。きっと、大丈夫なんですよね?
なんでこんなにハラハラなのか。自分でも自分がよくわかりません。
そんな犬の散歩を見つけると、ハアアッ…!となって、目が離せなくなります。
暇なら無事を確認するまで着いていきます。不審者です。

はあ、犬こわい。



ふと思い出した最初。

両親は出会った頃からダンサーであり今もダンスを教えているが、
私が産まれることとなって、母は一旦ダンスをやめた。
私をある程度まで育ててくれている間にも、やめていた。
私はしばらく、母も踊るとは、知らないままだった。

その頃、父は昼も夜中も仕事をしていた。平日は全く顔を合わせることがなかった。
それでも日曜日は朝から晩まで家族で過ごした。必ずどこかに出歩いた。

母はダンスをやめ、四六時中クソガキの私と居て、
時々は鬱々としたり苛々したりもしただろう。
癇癪を起こすようなことはなかったが、明らかに塞ぐようなことが、時々はあった。

そうなると、取りつく島がない。
ちょっとやそっとの事では笑わないし、笑えなかったろう。
その状態は、強固だったと思う。けっこう鉄壁だったと思う。
そうなると、私はどうしていいか分からない。一緒に塞ぐか癇癪を起こしたかと思う。
でも日曜日は違った。

家族で過ごす日曜日。そんな時にも時々は、母が取りつく島のない状態となった。
平日だろうが日曜だろうが関係なかった。特に理由なしにそれは訪れた。
しかし日曜日のそんな時には、理屈も何もない、脈絡も何もない、
わけのわからない事が、突然起きるのだ。
わけのわからないことを、父が突然、起こすのだ。
それは、気づかれようが気づかれまいが、或いはしつこく目の前で、繰り広げられる。
わけのわからないことが、起き続ける。
すると、母は思わず、笑うのだ。予期せず起き続ける、わけのわからない事によって。

塞いだ母は、普通の楽しさや巧い冗談などでは、決して心動かない。
テレビのコント等は勿論、いくら楽しさを演出しようが、いくら面白い話をしようが、
まったくもって、心動かない。
笑わせようとすると、かえってテコでも動かない。

理屈があっては駄目なのだ。脈絡があっては駄目なのだ。思いがあっては駄目なのだ。
そういうものが、ちょっとでもあったら駄目なのだ。
ふいに起きる、思いも寄らないこと。
延々と繰り返される、まったくもって意味のないこと。
思考を通さずに、笑うというスイッチがふいに押されるのは、そういうものなのだと、
私は日曜日の度に、繰り返し覚えていった。

まず本当に、意味がない。意味がないのに、無駄もない。
ダンサーならではなのかもしれない。全身を無駄なく使った機敏で美しい動き。
繊細で鋭い動きの切り替え。繊細で豊かな表情と呼吸。
それは別に、面白おかしい動きではない。滑稽な動きでもない。
ときどき出てくる意味の無い言葉は、ダンサー云々関係ないだろう。
しかしそれも別に、面白おかしい言葉でもない。ただその場において意味がないだけだ。
若い父のそれは、とてもキレがあって巧みだった。

幼少の頃の私はそれを覚えようとした。
ダンサーには育たなかったので動きにそれ程キレはない。
でも、脈絡のなさや意味のなさ、それを起こすタイミングと呼吸、それを覚えようとした。
そして父のいない平日には、自分が母の心を動かそうとした。

それが多分、私が人を笑わせようとした最初であり、
それが今も頭のどこかに深くこびりついている。

その頃は、父と、テレビでみた古い無声喜劇映画を、真似た。
その後、色々と他のものに興味を抱きつつも、
常に古い無声喜劇映画への強い興味は抱き続け、観まくった。
そしてやがてキートンの作品に出会って、
私はこういうものをやろう、私はこういう風に生きよう、と思った。
(いや、キートンの生涯に習おうというのではなく、
キートンの作品の中に生きているように生きようと、思った。)

当然のことながらそれまでにも色々あって、他の色々な事を経て、そう思った。
それについて書き出すと、また長くなるからやめておこ。

とりあえず、私が育ち妹が育って、ようやく母も再び踊り始めた。
そして今も父と母で、踊り続けている。



今朝みた夢。

朝起きて、珍しく夢をちゃんと覚えていたし、
夜になっても、珍しく忘れてしまっていなかったので、
ちょっとメモがてら、内容を書いておこうと思う。
以下、夢。

沢山のスタジオや稽古場のあるビルの中で迷い、自分の稽古場に戻れずうろうろしていた。
ドアが並ぶばかりで窓もなく中の様子が見えないので、違うドアを開けてしまうのも怖い。
ドアに耳を傾けてみても防音が効いているらしく音が一切漏れてこない。
だからとりあえずうろうろしていた。しばらくうろうろしていた。

もしや階が違うのかと、思ったかどうだかは忘れたが、とりあえず階段を上った。
階段を登ったら、ふいに、屋根のないデッカい稽古場に出た。
まったく屋根がない。壁も、自分の背にしている側にしかない。
少し灰色がかった青空に、金色の陽の光りが反射した雲が浮かんでいて、
遠くからは歌声が聞こえてきた。
そのだだっ広い空の下では、オペラのリハがおこなわれているらしかった。
遠くに、大人数で歌う、いかにもオペラらしい衣装の人達が見える。

なんかすごい。すごい風景だと思った瞬間に地面が揺れた。
地震だと思い、とりあえず走った。
走ったら何故だかすんなり自分の稽古場に戻れた。
急いで大事な荷物を手に持ち、皆に逃げるように言った瞬間、
稽古場の屋根が丸ごと吹っ飛んだ。
一気に部屋が光った。
見上げると金色の雲が見えたし、部屋にその雲が流れ込んでくるし、
上からはさっきの歌声が聞こえた。

なんかすごい。すごい状態だし、上の人達まだ歌ってるしすごい、と思いながら、
とりあえず上からものが落ちてくるようなことはなさそうだし揺れもおさまってきたので、
慌てて、その場で待機!と叫んだ。
そしたら目が覚めた。

以上、夢。
夢診断だとか夢占いにはまったく興味がない。
ただ、なんか面白かった。

大抵見るのは変な夢だ。
また覚えてたら書いとこ。


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