団長日記

都内劇場に暗躍する喜劇団「げんこつ団」団長の日記

延々聞かされたから、延々ボヤく!

Tweetしようと思ったけど140字じゃ納まりきれなさそうだからこっちでボヤこう。
Tweetのつもりで何も考えず思うままにボヤこう。

今日は「あったかいんだから〜」が延々延々延々延々、何時間も流れる場所に居て。
気が狂いそうになったです。

あれ自体は別に嫌いなわけじゃないんだけど、延々リピートはキツい。
気が狂ったです。

あれは何なんだろう。
あれ系の曲のパロディとして、あの芸人さんが作った曲なんだろうか。
あのA◎Bとかあの辺の。よく知らないのだけど。

最初たまたま見た時、あれ系の曲の特徴をよく捉えてるなあと思った。
あの、未熟な男心と未熟な自尊心と未熟なチ◎コをくすぐる歌詞・語感・動き。

それ自体は技術。昭和アイドルから綿々と続く技術。
私などから見ると今どきのはちょっと色々幼過ぎる感じと、
露骨でわかりやす過ぎる気がするが、それが時代なんだろうなあ。

ただ、これがフツーの女の子達ですって売り方は個人的には駄目だな。
フツーじゃねえし。フツーて何だし。

大人数居るもんで、いや色々なのが居ますよって逃げはあるんだろうけど、
どの道、媚び媚び。媚びてナンボの世界。

媚びてナンボの世界で頑張る女子が、フツーの女子かい。
ああ否、言い得て妙。
確かに媚びてナンボの世界ではあるか、ここは。

媚びのはびこる世界は、
媚びる対象の次元が低いほど、自分も下げなきゃならんので、大変だ。
媚びられた側は媚びられるほど、向上心を失うから、大変だ。
そのままじゃ、まったく先がござりません。

とかなんとかばっか言ってると、
「男子!ちゃんと掃除しなさいよ!」と、
目くじら立てる女子だったように思われそうな気がしてきた。

んなわけねえ。遊びほうけたよ。
遊びほうけるための労力は惜しまず。

小学校の掃除はね、見張りを2段階立ててね、絶対にバレずに遊ぶシステムを作ったさ。
絶対バレないために、ちゃんと掃除をするチームも作る。
それを不公平なく、全員で交代制で勤める。
まあ合理的。

第一、教室の掃除なんて、チャッチャとやりゃあ、あんなに大人数でやらんでも終わるわけで。
なんで必要ないのにみんなで頑張らなきゃいけないんだと。

そうそう。あれな。なんだろうな。
やたら結束やら団結やら、しろしろ言う教師とか。

例えば私は物心ついた時に何故か一生音楽をやるつもりだったから、
無理言ってプロの先生のところに楽器を教えてもらいに行ってたのだけど。

楽器の習得と上達には、元々の資質と、極めて地道で孤独な訓練が必要なわけで。
その訓練は、そりゃもう毎日毎時間毎秒の。一生続く訓練で。

でもクラスで合奏かなんかするときゃ、先生は言うわけよ。
「さあみんな、心を一つに!」

いやいやいや。
心を一つにしただけで奇跡でも起きそうな風に言うがな、
それは先生、超能力だわ。超能力はな、あり得んわ。

それぞれ個人の実力を磨き、下手糞は上手な人が尻を叩いて訓練し、或いは除いて。
その前提に、全員の音を合わせていく事も、また技術。
心、関係ねえ。

その積み重ねの先の先の最後の方で、結果として心は一つになるかもしれぬ。
ただ、心を一つにすることを最初にしても、何の意味もない。
そりゃあなた、超能力だす。

そんなもな、学問でもスポーツでも何でも周知の当然の事なのに、なんでそんなこと言うのん。
めちゃくちゃ不思議だった。

今思えばあれは、別に真面目に、より質のいい結果を、目指していたわけではなかったからで。
単なるクラス行事の一環。それを利用して、皆に「協力」を学ばせるのが目的。

でもなら尚更、本気で取り組むべきかと思うが。
きっと、技術的にどう教えていいのか、よく分からなかったんだろうな。
で、そこをすっ飛ばして、「心」行っちゃった。

その、なんとなくの「心を一つに」系の団結は、怖いよ。
それは何の実態も伴わない、「心」だからね。
さあ、「何」を「一つ」にするというのか。

その「心」は空虚。
まさに、空気を読んで、努力のふりで自分を騙し、互いに酔いしれるしかない。
努力と実力を正しく計れる者、不在。先生も生徒も、誰も分からない。
無法地帯だよ。

◎◎さんが頑張ってません!◎◎さんは協力する気がないの?
いったい何をどう、頑張り、協力しろというのか。誰も分かっていないまま。

上手も下手も関係なく、みんなで頑張ってるフリの上手な者だけが、生き残る。
同調出来ないものは、激しく迫害されるのみ。逃げ道、なし。
「協力」じゃなく、「同調」を学ばされるだけ。
 
ああ気持ちわるい。

ああそういえば、あの大人数のアイドル達を見ると、そんなことも思い出すな。
まあでもあれは、学校のクラスじゃないから。
もっとシビアに、個々に目的や目標を持って、頑張っているのだろう。
あの、シビアな世界でな。この、シビアな世界でな。

そこで問われるのは、最終的には、何なんだろうな。
 

triangle

ああ、延々同じ曲聞かされた腹いせに、延々ボヤいちった。

まだ足りん!!


苦手だ。

ちょいちょい言うけど「共感」による笑いは苦手で。
げんこつ団では「手段」としてはやるけど、基本、やらない。

それは、
「無意識的にであっても安易に共感を産むことによって、
 何らかの立場に立つことをしない」
という、主義によるものでもあるけれど。

それ以上にただ単純に、「苦手」だ。

「あるある!」「分かる分かる!」「やっぱりそうだよね!」
うん。気持ちが悪い。

そこはとても、狭いんだ。
「わーーーー!」と叫んで逃げ出したくなるほど狭いんだ。

例えば◎◎系◎◎とか。 古くは、ちょい悪オヤジだのオヤジギャルだの、
まず「定型」化して、その定型から外れたものをまた「定型」化する。

ぐるぐる巻きか!どこに逃げても拘束衣と目隠し猿ぐつわでがんじがらめか。

或いは「あれ」に反対の意を述べれば「じゃあこれにもそれにも反対ね」、
「それ」に賛成の意を述べれば「じゃあこれにもあれにも賛成ね」。

違う!やめてくれ、私をその箱に入れるな、その箱は誰の箱だ、ぶち壊すぞ。

20年前から、いや30年前から40年前から50年前から100年前から、
そのすべての狭さに、反対だ。世界中の全ての狭さに、反対だ。

昔に比べて、今はやや、
狭苦しさを感じずに過ごすことが出来るようになってはいるが、
しかしまだまだ、まだまだ、狭いんだ。
しかしそれを言い始めたら本当にもう、どこまでもどこまでも、
ちょっとよくわからないところまで行ってしまうので、
それはそれで置いといて。

例えば、「普通」から少しズレたものを笑うという笑い。
それが「普通」から少しズレた「状況や展開」ならまだいいが、
「普通」から少しズレた「人」なのはちょっとどうかと、
誰もが思うと思うがどうか。

或いは、「状況や展開」をネタにしているとしても、
その「普通」としているものを「普通」と受け入れられない人にはどうか。
もしくは何を、「ズレ」と思うか感じるか。
それを何故、「ズレ」と思うのか感じるのか。

そこに「一切の疑問」のないままの、「天真爛漫」な「共感による笑い」。
それは、害悪だ。

しかしそれははびこる。
日常の中、あっちこっちに、はびこっている。
いいわるいは置いといて。
いや置いとくべきものじゃないけどとりあえずは置いといて。
とにかく、苦手なもんは苦手だ。
今は「苦手だ」とだけ、言いたい。

ちょっとしたズレを笑う、微笑ましいギャグ、ネタ、話術。
ちょっとだけズラした感性による、お洒落感、時代先取り感。
ちょっとしたズレを見つける、鋭い感性、磨かれた感性。
ちょっとズレたことに気づいたオレ、恰好いい感。
ひとと違うことに気づいたオレ、恰好いい感。

80年代後半から90年代前半はそういうものに溢れてたように思うがどうか。
なんにも調べてないし今テキトーに言ってるからぜんぜん間違ってるかもしんない。
いやいや昔も今も何も変わっていない。今も溢れているぞ。ここそこあそこにみっちり。

そんなもんは、ちっとも、面白くない。

と、私は思う。

思うんだ。

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そっと。

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元野良のバルは、今や完全なる家猫と化した。

めでたい。

しかし、家猫は我がままで甘ったれなものだが、
ここんところのバルの甘え方が、おかしい。

私がパソコンをいじっていると、
何も言わずにその手の上に前足を置き、そっとやめさせようとする。 

私が携帯をいじっていると、
何も言わずにその手に爪を引っかけ、そっと手を降ろさせる。

私が本を読んでいると、
何も言わずに本の向こう側から見つめ前足を本に置き、そっと降ろす。

私がイヤホンをしていると、
何も言わずにイヤホンを引っぱり、そっとはずす。

それが延々と、続くのだ。

行動は静かで控えめなのだけど、かなりしつこい。

それで何をして欲しいのかと言えば、なでで欲しいのだろうけど、
なでたらなでたで、その手をそっと、制止させられたりする。

わけわからん。

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