団長日記

都内劇場に暗躍する喜劇団「げんこつ団」団長の日記

次回のげんこつはなんと、人が主役!

これまでのげんこつ団は、「物事や現象」つまり「社会」を主役に、
「人や人生」がそれに、翻弄されたり順応したりする、という内容が多く。
要は、主に「物事や現象」をネタにしてきたわけですが。

それは、そうしたものは他にあまりないだろうと思っての自分なりの色であり、
また、そちらの方が自分の得意であると思ってのことでしたが。

次回のげんこつはなんと、「人と人生」を主役に、
「物事や現象」がそれに立ちはだかったり影響されたりする予定。
要は、「人や人生」を、ネタにする。

それはつまり、今、そっちをネタにしたくて仕方ないという事で。
いよいよ、攻撃対象を変えるという事で。
ようやく、照準がそちらに向いたという事で。

しかしするってえと、結構、考え方や書き方なんかを変える必要があり。
普通に人を描いちゃったんじゃ、意味がないので。
そんなん自分がやってみたところで、ただそのまま普通になるか、
駄作も駄作になるのは目に見えているので。

あくまで「人」も「人生」も、「ネタ」にしなければいけない。
またもちろん、それに立ちはだかったり影響されたりする「物事や現象」も、
「ネタ」として機能しなければいけない。
「両立」させていかねばならない。

ということで、只今、思考回路を回したり戻したり、健闘中。

だから、自分にプレッシャーをかけるべく、自分のためのメモとして、
わざわざこうして、宣言しておく。

「次回のげんこつはなんと、人が主役!」

…まあこれまでのも、
「物事や現象」ネタによって「人」が右往左往をしている様をやっていたので、
「人が主役」ではあるのだけれども。

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苦手

例えば子供が「コドモ」っていう動物の一種で、いつまでも小さく弱いままなんだったら分かるんだけど、実際は単なる「過程」でしかないのだから、子供を子供扱いするのも気が引けるし、自分が子供扱いされるのにも戸惑ったもんだ。

思い出してみれば誰でもそうだったんじゃないか。例えば変な見ぶりと声で「ありゃりゃりゃ!んまー、おーきくなりまちたね〜!」とか言われても。「空気を読んで」子供らしく振る舞うしかないじゃないか。それが出来ない私は下を向くしかなかったじゃないか。空気を読める子は「相手を思いやって」子供らしくしてあげていたじゃないか。その「優しさと気遣い」はもう充分大人のそれじゃないか。

言葉が、ほんの少しでも話せるようになったら、色々な面での知識や経験が足りない以外は大人同様に育ちつつあるもので。しっかりと思い出してみれば、誰でもそうだったと思う。いわゆる「子供らしい」振る舞いも言動も、「分かってやってた」と思う。道端で泣きながら暴れてる子供も充分、「分かって」やってる。親が無視して立ち去ればピタッと泣き止みスタスタ歩いていくもんだ。ズルい事もワルい事もエロい事も色んな事を逐一考え、試行錯誤して行動するのが子供だ。
 
だから「子供扱い」 ってのは、子供扱いをする大人の世界における、「大人と子供の関係性」を、否応無しに押しつけ叩き込む行為で。その人の思う「子供らしさ」を演じざるを得ない、逃げ場のない状況を作り出す行為で。そう思うと益々、その人の思う子供らしい子供でいてあげる「優しさと気遣い」を、敢えて拒絶したくなったもので。

自然とその「優しさと気遣い」を身につけた子供は、自然と子供らしく振る舞う事が出来、それが相手との関係を潤滑にし、結果、それは自分にも心地よいものとなる。
無理をしてその「優しさと気遣い」を演じた子供は、無理に子供らしさを演じ続け、相手との関係は潤滑になるものの、結果、それは苦痛のままだ。
そう、拒絶するより無理をするより、順応しちゃった方が、お得だし楽なのよ。さあ、順応なさい、私も順応してきたのよ、そうしたら楽しいのよ、考える必要なんかないのよ。そう、そういうものなの、そういう世界なの。さあ泣きなさい喚きなさい、子供らしく屈託なく、笑いなさい。

しかし、そんなこと言われても、子供はすぐに成長するもんで。いやすでに中身は、ほぼ同等。子供扱いをした子供は、みるみるうちに貴方を追い越していく。いやすでに中身は、追い抜かれているかもしれない。貴方同様、誰しも同様、子供だって、実のところは何を考えてるか計り知れない。しかも良くも悪くも文字通り、無限の可能性を秘めている。ああこわい。だから私は、子供が苦手だ。子供の頃から子供が苦手だ。つうか子供も大人も苦手だ。みんな苦手だ。

ああだから、「大人」は「子供」を「子供扱い」することで、自分がちゃんと「大人」であることを自らも自覚しようとし、「子供」を「子供」に、しておこうとするのだな。その「抑圧と服従の関係性」が、自らにも必要なのだな。と、ここまで書いて。「いやいや別に違うだろうw」とも思う。実際、違うんだろう。単に子供は可愛い、愛おしい、そういうのがあるんだろう。大人にももっと余裕があるんだろう。そうなんだろう。そうなんだろうよ。

つまり私も大人であるならば、余裕をもって子供を子供扱いすればいいし、その余裕がないならば子供を子供扱いすることで屈服させればいい。子供側にはいろいろあるだろうが、そんなことは知ったものか。みんなそうしてるんだ、そうしろ。それで万事解決だ。

或いは子供をもうちょっと「大人扱い」するような世間だったら楽なのにと、ちょっと思うけど致し方ない。他国他文化じゃそういうところもあるが、今のここはそうじゃないわけだし。いやまず「大人扱い」ってのもおかしな話で。「大人扱い」って何だよって話で。「普通に」接してくれれば良かったし、「普通に」接することが「普通」なら良いのにと、思う。

だって思い出してみたらいい。誰しも子供のころに感じたろう、あの違和感。物心ついて最初に他人の大人が見せた、「子供扱い」。他の大人たちに対するものと明らかに違う、態度、表情、言動。いやいや絶対、感じたと思うよ。でもすぐに、「あっ、こういうもの…了解!」と飲み込みの早い子供は事情を察したんだ。でも私のような飲み込みの遅い子供は、「なにこれ…?」といつまでもその違和感を引きずったんだ。
 
結局のところ、子供の頃に「その事情」を飲み込めず、大人になってもまだ飲み込めない、自分がいけない。いつまで口の中で咀嚼してるんだと。早く飲み込んじまいなと。それか吐き出しちまいなと。つまり子供が苦手で、子供と接するのが苦手なのは、完全なる自業自得。社会のせいでも世間のせいでもなんでもない。なんであってもそうなんだ。きっと私は死ぬまで、飲み込むでもなく吐き出すでもなく「事情」をモグモグ咀嚼し続けるんだ。

なので今後、子供と接しなくてはならない時、その時には、一対一のサシで勝負させてもらいたい。大人だの子供だの一切、抜きにして。……いや、負けるな。絶対に負ける。いやすでに負けてる。白旗。降参。ごめんなさい。
だからやっぱり、子供は苦手だ勘弁だ。
つまり、逃げろ!


jinken004

早漏

演劇パロ的ネタをやめてネタの多様さや1つ1つのネタの無駄の無さに盲目的に命を掛けた10年を経て。1つ1つの公演の特色を出そうとした5年を経て。
今、初めて、全体像が勝手に湧いてきてる。まだそんなに考えようとしてないのに勝手に漏れ出してくる。
こわい。
諸々半年休んだ反動かただの錯乱か。
そこにはこれまで避けてたことも含まれるし相容れないと思ってたものも最初から相容れさせてるし前回のあれこれを踏襲しつつ前回ともまた全く違うしでもそれで全く問題ないし。
これが錯覚じゃなければ、なかなかいい感じ。
錯覚か否かを精査しながら、このままいきます。
稽古は7月から。

BIB2011-3
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